頑固さと共感、出会い
教員採用試験には『集団討論』というのがある。要は『初対面の人と短時間でこんなにうまく話ができるようになりましたよ』とアピールするテスト。
人は自分の意見を変えたくないものなんだろうか?
人類の知見でさえ、時代とともに大きく変容してきた。況んや自分ごときのちっぽけな存在が考えつく事なんか多寡が知れている、と自分なんかは思うんだけど、どうなんだろう?
多寡が知れている=その時点その時点での認知には限界があるということ。
他者との関わり(読書を含む)は、その欠損を埋めるためにあると思うので、出会いは常に発見に満ちていて楽しい。
昨晩は、広告代理店に勤務されていた人とお話しする事ができた。楽しかった^ ^